伊予・宇和島へ [城・神社仏閣]
東北の雄の伊達藩が、南国・四国の豊後水道に臨む伊予宇和島で加増された理由はいくつか考えられる。関ヶ原の戦い前後、東北で、多少勝手な行動はあったものの、当初より一貫して徳川へ味方をした伊達政宗に対して、徳川家康も配慮せざるを得なかったのだと思う。しかし、タヌキ度が一枚上手の家康は、東北から遠く離れた宇和島で加増して、伊達家の戦力の分散を図ったというようなところか。
大河ドラマ「独眼竜政宗」では、秋吉久美子さん演じる側室の猫御前が、息子と伴に伊予へ旅発つシーンが心に残っている。
とにかく、伊達の分家が四国にあるので、一度、行ってみたいと思っていた。それがついに実現した。3月18日(日)、松山からJR予讃(よさん)線「宇和海」5号で宇和島へ。
宇和島は、城下の商店街に「きさいやロード」というアーケード付の歩行道が整備されていて、小雨の日であったが歩きやすかった。「きさいや」というのは、南予(なんよ)地方の方言で「来て下さい」を意味するとのこと。
当地で知ったのだが、宇和島は、1891年の「大津事件」で、法律を厳格に適用して、司法の独立を守り通した大審院院長・児島惟謙(これかた)の生誕の地で、銅像も建っていた。
松山の収容所は、日露戦争中、捕虜に親切に接してくれるというので有名になった。そのロシア人捕虜のお墓が整備されて残っている。「法は厳しく、でも、人には優しく・・・か」 旅行をすると、いろいろなことを考えさせられる。
あら、大洲は通過でしたか(^^)
by 私が三人目 (2012-04-17 13:49)
私が三人目様
松山から宇和島日帰りで道後泊の日程でしたので、残念ながら大洲は通過でした。次回は、大洲から佐田岬を考えています。
by Len (2012-04-17 14:53)
宇和島城、意外としんどい山登りだった記憶があります。汗だくで登りきったあとに、可憐な天守が迎えてくれた、、、また行きたいお城です!
by ノリパ (2012-04-21 00:28)
ノリパ様
宇和島城に登る傾斜は結構きついですね。守るには良いお城だったと思います。やっぱり、どこか仙台城とその城下町に似ているような気がします。
by Len (2012-04-21 15:13)
私のブログにご訪問いただきありがとうございました。
私は2年前に宇和島城に行きましたが、
藤堂高虎が築いたと言われる代右衛門丸の高石垣が
印象的でした。
by アテンザ23Z (2012-04-22 20:34)
アテンザ23Z様
コメントを頂きまして、どうもありがとうございます。豊臣時代は、藤堂高虎が城主だったのですね。その後も今治城など、いろいろな築城に関わってますね。
by Len (2012-04-23 19:02)