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丸亀城から宝塚へ [城・神社仏閣]

 昨日、朝一番で、丸亀城に登ってきた。これで現存12天守閣を全て制覇。
 丸亀城は、織田信長の愛妾・吉乃の 一族の生駒親正が築城した平城。下から見た天守閣がとにかく格好いい。
 天守閣までは、急な坂道が続く。後で知ったのだが、平城として山麓から天守閣までの総高は60mで日本一だった。今回の旅行は、坂登が多かったなあ。
 丸亀から宝塚へ移動し、阪神競馬場と清荒神を見て、宝塚ホテル泊。

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金毘羅さんへ [城・神社仏閣]

 昨日、岡山から瀬戸大橋線、土讃線を行く特急南風で琴平へ。金毘羅宮奥の院まで1368段を登ってきた。
 息がつまる階段を登りながら考えていたことは、金毘羅さんを象徴する土産は何がいいかな、ということ。それで、金毘羅さんは何かと考えてみたのだか、今一つハッキリしなかった。
 調べてみると、明治維新後の神仏分離令があり、結局、金毘羅宮に祀られている神様のことになるらしい。だから、金毘羅様と呼ばれるべきなのだが、親しみを込めて金毘羅さんと呼ばれている。 
 エビス様のイメージはすぐに浮かぶが、金毘羅さんには特定の姿形の人形などは無いようなので、社務所でイチオシしていた黄色い御守りを購入してきた。
 なにより、金毘羅さんのシンボルは、心臓破りの階段。登ることに御利益がある気がする。いや、絶対に御利益がある。
 金毘羅宮から、隣の駅の弘法大師生誕の地・善通寺へ。



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津山城から備中松山城へ [城・神社仏閣]

 昨日は、飛行機で岡山空港まて飛んで、レンタカーを借りて、まず津山に向かった。
 津山といえば、津山城址と、もう一つは、「八つ墓村のたたりじゃあ」のモデルとなったといわれる津山30人殺し事件。
 津山城は、織田信長の小姓・森蘭丸の末弟の忠政築城と知って感慨深いものがあった。ちょうど花見の準備の真っ最中だった。
 津山から、備中松山城へ。念願の山城だけど、とにかく、登るのに疲れた。赤穂浪士の大石内蔵助も関係した名城だが、明治維新後は、あまりに高台過ぎて、放って置かれたらしい。それが、天守閣現存の理由と説明しているのが正直で、妙に感心した。

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鞍馬寺へ [城・神社仏閣]

2018年2月14日
新幹線を米原で下車して、北陸本線に乗り換えて、かつて秀吉公が、初めて大名に抜擢された長浜へ。
歴史資料館になっている長浜城の天守閣から、辺り一帯を見渡して思ったことは、その後の歴史の真っ只中に位置しているんだなあということ。
安土城も、佐和山城も、賤ヶ岳も、関ヶ原も、みんな眼下に見ることができる。

午後は、久しぶりの京都へ。少し面倒臭いが、地下鉄で、三条まで行って、京阪三条に移動して、出町柳から情緒豊かな叡山鉄道の終点の鞍馬寺へ。
自然を愛する尊天思想のもと、大自然の中を歩くのは、最高に気持ち良かったのだが、山中の奥の院に向かう時分には、日暮れも近づき、辺りには私一人しか歩いていなかった。風の音や、ググググググという訳の分からない山の音が怖かった。あれ、何かなあ。

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岡崎城へ [城・神社仏閣]

徳川家康公の生誕の地、岡崎に行ってきた。

犬山城から小牧城へ [城・神社仏閣]

岐阜~犬山城~小牧城~サンシャイン栄~豊国神社
念願の国宝犬山城に行ってきた。木曽川沿いの小山に立つ姿は、これぞ、お城という感じ。
信長の叔父

箭弓稲荷神社(東武東上線・東松山駅前)へ [城・神社仏閣]

2016年12月15日(木)

 関越自動車道の帰路、東松山インタから東松山駅前の箭弓稲荷神社へ寄って、お参りしてきた。

 神社のパンフレットによると、712年の創建で、当初は「野久稲荷」と呼ばれていたが、1028年の下総の平忠常の乱のとき、追討軍の源頼信の前に矢(箭)の形をした白雲が現れて、それに乗じて突撃して勝利を収めたことから「箭弓稲荷」となった。

 そもそも「箭(セン、や)」という漢字が読めなかったので調べてみると、竹の端に鏃(やじり)を付けた武器というようなことが書いてあるので、細い竹棒の前にヤジリで、「竹」冠の「前」で、「箭(矢)」を連想できた。

 更に連想は続き、箭弓は「やきゅう」と読んで、野球と重なることから、埼玉県に本拠地を置く西武ライオンズの関係者など野球関係者が多く訪れるらしい。そのためか、絵馬がバットの形で、お守りにも小さなバットが付いているものがあった。

 そのバットの「球技守」を思わず買ってしまった。私個人は野球はしないし、観る方は、巨人ファン。

 かつてだけど、常勝西武ライオンズを守護してくれたかと思うと、霊験あらたかなのだろう。ただ、埼玉県勢が夏の甲子園で優勝していないのが気になるが。


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妻沼聖天山(埼玉県熊谷市)へ [城・神社仏閣]

2016年12月12日(月)

 仕事の帰り道で、少し時間ができたので、高崎線熊谷駅で途中下車して、太田駅行きのバスに飛び乗り、妻沼聖天山の国宝「歓喜院聖天堂」を観てきた。

 「国宝」というのと、「歓喜」という名前に惹かれてしまった。

 熊谷市内ではあるが、バスで片道30分はかかる。「妻沼」は「めぬま」と読むことを知った。

 「聖天山」は、てっきり「しょうてんざん」と読むと思っていたが、「しょうでんざん」だった。「昇天」と勘違いしてしまった。

 運良く、案内係の方から詳細な説明を聞くことができた。「聖天山」と、山の名前になっているのは「山号」のことで、昔、寺が山奥に建てられていた頃に、寺に山の名前を付けていたらしい。

 が、歓喜院聖天堂は「権現(ごんげん)造り」で、神社の様式になっている。これは江戸時代は、神仏混交で寺と神社を一緒にしていたからなのだそうだ。お賽銭を入れた後に、私が、一瞬、二拍手しようかどうか迷ったのも仕方ないこと。

 「埼玉日光」と呼ばれる、きらびやかな歓喜院聖天堂で印象に残ったのは、鷹と猿の彫り物。鷹と猿が戯れていると思ったのだが、鷹が煩悩を持った猿を食らっている様子だった。煩悩猿と私を重ねてしまった。


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首里城へ [城・神社仏閣]

首里城→見栄橋→県立美術館・博物館→対馬丸記念館→那覇市歴史博物館

 昨日、ついに「Siri」、アップル社の発語認識サービスでなくて、「ちゅり」、SKE48のお気に入りでなくて、「首里城」に行ってきた。

 今更ながら、外国人ツアー客と、修学旅行の学生の多さに驚いた。テレビで見る正殿のイメージより小さいなあというのが第一印象。正殿内の玉座や内装は綺麗だった。

 ゆいレールの次の駅「儀保」までぶらぶら歩いて「牧志」から沖縄県立博物館・美術館へ。偶然、木梨憲武展をやっていた。


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伊予・宇和島へ [城・神社仏閣]

DSC_0437.JPG 東北の雄の伊達藩が、南国・四国の豊後水道に臨む伊予宇和島で加増された理由はいくつか考えられる。関ヶ原の戦い前後、東北で、多少勝手な行動はあったものの、当初より一貫して徳川へ味方をした伊達政宗に対して、徳川家康も配慮せざるを得なかったのだと思う。しかし、タヌキ度が一枚上手の家康は、東北から遠く離れた宇和島で加増して、伊達家の戦力の分散を図ったというようなところか。

 大河ドラマ「独眼竜政宗」では、秋吉久美子さん演じる側室の猫御前が、息子と伴に伊予へ旅発つシーンが心に残っている。

 とにかく、伊達の分家が四国にあるので、一度、行ってみたいと思っていた。それがついに実現した。3月18日(日)、松山からJR予讃(よさん)線「宇和海」5号で宇和島へ。

DSC_0425.JPG 宇和島は、城下の商店街に「きさいやロード」というアーケード付の歩行道が整備されていて、小雨の日であったが歩きやすかった。「きさいや」というのは、南予(なんよ)地方の方言で「来て下さい」を意味するとのこと。

 当地で知ったのだが、宇和島は、1891年の「大津事件」で、法律を厳格に適用して、司法の独立を守り通した大審院院長・児島惟謙(これかた)の生誕の地で、銅像も建っていた。

 松山の収容所は、日露戦争中、捕虜に親切に接してくれるというので有名になった。そのロシア人捕虜のお墓が整備されて残っている。「法は厳しく、でも、人には優しく・・・か」 旅行をすると、いろいろなことを考えさせられる。


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