SSブログ

大倉山競技場 [観光]

  昨日、2015年9月3日(木)、札幌オリンピックが行われた大倉山競技場に行ってきた。行き方が、結構、大変だった。JR札幌駅から、地下鉄南北線で「大通り」駅まで行って、東西線に乗り換えて、「円山公園」駅で下車。バスターミナルで、「円14」宮の森シャンツェ行きバスで「大倉山競技場」で降りて(210円)、坂道を10分くらい歩くと、目の前にジャンプ台が見える。
 ウインタースポーツミュージアムの3階外で、リフトとミュージアム共通券(1000円)を買って、リフトでジャンプ台の上まで昇った。「スゲー!」というのが、素直な感想。ジャンパーは、こんな恐い所から飛んでいるんだなと感心する。
 意外なのは、着地斜面が、90度に近いんじゃないかと思うほど急なのだが、ジャンプ台の高さは、さほど高くないこと。
 帰りは、またバス停に戻るのが億劫だったので、観光バスなどの駐車場からタクシーに乗った。運転手さんと話して確認したのだが、札幌オリンピックで、日の丸飛行隊が、金銀銅を独占したのは、大倉山ではなく、宮の森シャンツェだということ。てっきり、大倉山だと思ってた。
 でも、スキージャンプの醍醐味を実感できるので、大倉山競技場はおすすめです。


伊予絣 [観光]

  3月18日(日)、日本書紀にも登場する日本最古の温泉「道後温泉」に生まれて初めて宿泊。道後温泉は、映画「千と千尋の神隠し」の温泉宿「油屋」のモデルになったとも言われる木造の「道後温泉本館」を、近代的な鉄筋コンクリート造のホテル群が取り囲んでいる感じ。消波ブロックとコンクリートで囲まれた沖ノ鳥島を連想してしまった。

 その道後温泉の商店街で、「日本三大絣のひとつ」という宣伝文句に釣られて、伊予絣のネクタイを購入した。最近、微妙にファッションに興味を持ち始めたので、絣(かすり)について調べてみた。

 絣というのは、その名が示すとおり、「かすった」ような模様が特徴の織物や染め物のことを言う。個人的には「にじんだ」ような模様といった方がシックリくる。久留米絣、伊予絣、備後絣が日本三大絣。

 伊予絣は、鍵谷カナ(かぎやカナ)さんという方が、江戸時代の享和年間(1801~04)に独自で開発したもので、その後、全国に知られるようになった。

 近代、絣は、女性の普段着に使用されていたが、第二次世界大戦中に多くがもんぺとして仕立て直されたらしい。映画などで出てくるもんぺ姿が、そういえば絣柄のような気が。最近は、生産も減って、みやげ用がほとんどとのこと。


nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

J.K.ローリングさんとエジンバラの喫茶店 [観光]

DSC_0327.JPG J.K.ローリングさんが、一杯のコーヒーだけで粘って、売れる前のハリーポッターの原稿を何時間も書き続けたというスコットランドのエジンバラの喫茶店で、全く同じ頃、同じ喫茶店で、私も執筆活動をしていたというのが、プチ自慢だった。もっとも私が書いていたのは、誰も読まないレポートだったが。

 今回、久しぶりにエジンバラに行く機会があったので、喫茶店の写真を撮ってこようと思って、当時、エジンバラにいた知人達に聞いてみたら、本当は、巷(ちまた)で有名になっている「Elephant House」じゃないらしいだの、「Nicolsons Restaurant」という所だったのだの情報が錯綜していた、。私は、Elephantだと思っていたので、少し不安になって調べてみた。

DSC_0317.JPG 結局、ローリングさんが、執筆活動をしていたのは、「Elephant House」と、「Nicolsons Restaurant」の両方だったらしい。Elephantの方は、ちゃっかり、それを売り物にして「Birthplace of Harry Potter」と名乗っているが(上の写真)、実際は、義弟が経営するNicolsonsの方で執筆活動している時間が多かったらしい。地元の方の話では、ローリングさんは、Elephantの便乗をよく思っていないとか。

 Nicolsonsの方は、その後、経営母体が替わって、現在はSpoonというお店になっていた。ちなみに、私は、ローリングさんと全く同じ頃、両方のお店に行ったことがあるので、もしかしたら彼女に会っていたのかも。もう、どうでもいい話だけど。


京都・保津川下り [観光]

2010年3月18日(土) 

ホテル~四条駅~(地下鉄)~二条駅~(JR嵯峨野線)~嵯峨嵐山駅~トロッコ嵯峨駅~(嵯峨野観光鉄道)~トロッコ亀岡駅~(バス)~亀岡乗船場~(川下り)~嵐山下船場~渡月橋~天竜寺~京福嵐山駅~(京福嵐山線)~四条大宮駅~(バス)~三十三間堂~七条甘春堂本店~豊国神社~ホテル

 毎年恒例の出張ついでの、というか、こっちがメインといえばメインの京都旅行に行って来た。今年の目玉は「保津川下り」。テレビなどでよく紹介されている急流を舟で下るヤツ。

 実際は、急流といえば急流なのだが、ディズニーランドのナントカの方がもっと激流。ただ、舟を操る船頭さん達の技量は凄い。が、talkは少し寒い。

「あの鳥は、オレオレ・・・鷺」、

「あの黒い鳥は・・・・・・鵜、マンボー!」、

「(岸辺の道路のベンツか何かを見て)私の愛車も真っ赤なオープンカーです・・・横にヤンマーと書いてます」

 という感じ。いまだに記憶に残っているということは高度なギャグなのかも。

 とにかく、適度に風景とスリルを楽しむことができた。しかも、3月ということもあり、女子校や女子大の卒業旅行生と一緒の舟になり、おっさんの同僚達ともども、会話を聴いているだけでホノボノ。


大磯 [観光]

 1月3日の日曜日は、箱根駅伝の応援も兼ねて、神奈川県の大磯に行ってきた。箱根駅伝の復路7~8区の中継地点は平塚だが、実際は平塚駅より大磯駅からの方が近い。

 埼玉県からだと湘南新宿ラインに乗れば、東海道線に乗り入れているので、乗り換えなしの一本で行ける。

 せっかくだから、関係大学や母校の選手の雄姿を写メしようと、国道1号線沿いで待ち構えていたのだが、私の携帯のカメラ機能は、シャッターを押してから撮影するまで間があくので、走る選手を特にアップで撮影するのは意外に難しいことを発見。結局、画像の端に後頭部しか捉えることができなかった。写真右端の車体の上に、かすかに見える後頭部の黒髪が選手。分かるかなあ。

7区氏原君.JPG 

 ちょっとだけ失敗したなと思いつつ、大磯見物をすることにした。「島崎藤村邸」や「新島襄終焉の地」などを見てから、国道1号線を小田原方面に2kmほど歩いて「旧吉田邸」に向かった。

 言わずとしれた、昭和の大宰相・吉田茂元首相の邸宅なのだが、昨年3月22日に全焼して、いまだに立ち入り禁止になっていたので、已む無く遠くから銅像だけ撮影してきた。

 吉田元首相の三女・和子さんが、福岡の実業家・麻生太賀吉氏に嫁いで産んだのが麻生前首相。祖父の旧邸跡については、現在の管理者の意向とか、お金の問題とか、いろいろあるのだろうけど、せっかく銅像もあるのだから、もうちょと何とかすればいいのに。放っておくようだから、選挙で大敗するんじゃないの、と思ってしまった。

 帰りは、西湘(せいしょう)バイパスをくぐって海辺に出て、水平線を見ながらブラブラ歩いてきた。気持ちよかった。

吉田茂銅像.JPG


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

国鉄583系電車 [観光]

 元日、帰省先から戻るとき、奥羽本線のカモシカ号(青森~秋田)に乗った。

 帰省するとき、「(秋田新幹線)こまちにカモシカが接触して急停止したため、待ち合わせのため遅れが出ております」というような車内アナウンスを聞いていたので、この電車に接触したら「カモシカにカモシカが接触して急停止になっちゃうな」というようなことを考えながら、いつものように、車窓から白銀の景色をボケーと眺めていた。

 しばらくして、外でやたらとカメラをセットしている人が多いことに気づいた。私が乗っている電車を撮影しようとしているらしい。

 おそらく零下とは思う寒空の下、「鉄道ファンは大したもんだとか、これだけ熱中できることがあるということは、ある意味幸せな方々だなあ」とか思っていたのだが、秋田に到着したとき、そんなに珍しい電車なのかと、私も便乗して撮影してきた(下の写真。ついでにステーションデパートで会ったナマハゲも)。

 それで、今、調べて分かったことは、どうやら583系という電車で、1967年、昼夜兼行型の寝台列車581系として製造され、寝台列車としては、当時、日本で最速の120km/hを記録し、翌1968年、583系になったらしい。重要な点が抜けていたら、誰か教えて下さい。

 昔、私もよく使った奥羽本線の寝台特急「あけぼの」や特急「いなほ」に使用されていたらしいから、もしかしたら数十年ぶりに同じ車両に乗ったのかも、と思うと感激。

 現在は老朽化が目立ち始め、583系は、2007年以来、毎年元旦の奥羽本線「カモシカ2、3号」にのみ使用されるているとのこと。

 知らないうちに、そんな電車に乗っていたなんて、何だか新年早々ロマンだなあ。

583系雪.JPGなまはげ.JPG


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。